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2014年度
2014年度 : 2015年3月22日礼拝
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-04-18 22:56:48 (139 ヒット)

 「人のさばきと神のさばき」  聖書:エレミヤ書33章1-11節(旧約1240頁)
                     マルコによる福音書15章1-20節(新約94頁)
 
                    交読:詩編141編(交読詩編158頁)
                    讃美歌:23,35,58,296,26

【説教の参考に】
  受難節に与えられた今朝のみ言葉は、主イエスが十字架につけられるクライマックスとも言える箇所です。ピラトはローマの総督であり、彼は尋問したが、「イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った」という言葉が記されています。この「不思議に思った」と訳されている言葉は、本来「驚いた」と訳した方がよい言葉だと言う人がいます。主イエスの驚くべき沈黙にピラトは驚いたというのです。
  なぜ主イエスは黙っておられたのか。真の王であるならば、すべての人を敵にまわしても主張しもよかったのではないか。しかし、主イエスを裁いたのはピラトや私たち人間だけでなく、神でもあったのです。主イエスが沈黙し、受け入れたのは神の裁きでもあったのです。人間の罪が最も鮮やかに現れて来る裁きを受け入れて、この愚かな人間の裁きの中で、神のイエスに対する審きが行われているのです。主イエスはただ人間の愚かさを許容されたのではなく、神の審きを受け入れておられるのです。
  十字架の意味を考えたい。塔の上にそそり立つ十字架は、「十字架を背負ってイエスに従います」という教会の決意表明ですが、しかし、それは無力の象徴なのです。


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